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著者とまえがき

 タイマッサージに出会ってから早21年になった。当時20歳だった僕はマッサージというものをはじめてタイで体験した。大学の卒業旅行だった。友人と2人でタイ旅行に3週間出かけたのだが、ちょっとした喧嘩から、バンコクに着いた矢先に、一人旅を強いられることとなった。昼は寺を巡ったり、屋台で飯を食らったり、ぶらぶらと街を闊歩し、夜はバーでおねえちゃんを冷やかしたり、ディスコで踊り狂ったりという日々だった。若かったのでたいした疲れも感じていなかったが、ディスコでパンパンになった足が少々だるかったので、マッサージというものに生まれて初めてかかってみることにした。びっくりした。思っていたのと違ったからだ。身体を引っ張られたり、持ち上げられたりと、「何じゃこりゃ!」というのが正直な感想だった。これがタイマッサージとの始めての出会いだった。
 初めて女を買ったのもこのときだった。それまでは金を出して女を買うことをプライドが許されなかったのだが、旅はかき捨てと思い、バーで金を払って安宿に連れて返った。事をいたした後、その女が再び男根の根元を指で押さえた。血管が脈打つのを感じた。どくどくと数十回数えては離すのだ。この作業を繰り返すうちに男根は再び頭を持ち上げてきた。これにはびっくりした。こんなこともできるのかと。このテクニックは、タイマッサージの中にも応用されている。血液の流れを一時的に止めた後に、一気に流すことで、新鮮な血液を行渡らせ、生命エネルギーを増幅させるテクニックがある。ただただ関心するばかりだった。
 こんな体験からか、タイが好きになった。アパレルメーカーに就職してからも暇を見つけてはちょくちょくタイを訪ねた。その度にタイマッサージを受けた。日本では、タイマッサージ=セクシャルなサービスという偏見があるが、それが決して本来のタイマッサージでないことも当時から判っていた。
 25のときに結婚をした。当時、アパレルメーカーに勤めていたのだが、上司に掛け合って、売上の芳しくなかった店舗の運営を任せてもらうことにした。僕はメーカーに勤めながら、同グループ会社で洋服の販売をしていたかみさんに個人事業主として小売店舗の運営をやってもらうことになった。販売代行という形態で、店の運営を任せてもらう代わりに、売上の約15%を手数料としていただくという契約だ。店は順調に売上を伸ばした。前年比250%という驚異的な数字だった。当時はやったDINKS(Double Income No Kids)を絵に描いたような夫婦だった。そしたら半年ほどで母親がガンになった。検査が不十分のまま半年間放置され、「やっぱりおかしい」と再度訪ねるとすでに病気が進行していたのだ。僕は介護に専念するために勤めていた会社を休職した。その後、病院もいくつか変えてみた。食事療法やリンパ治療、びわ温灸など、わらをもすがる気持ちでさまざまな治療法を試した。この際、国が認めていようがいまいがどちらでもよかった。少しでも良くなるように、楽になるように、ただそれだけだった。自分自身も、わからないなりにもただ身体を擦ったり、マッサージの真似事のようなことを繰り返していたのを覚えている。休職期間が長引いたのでこれ以上迷惑はかけられないと思い、会社はそのまま辞めてしまった。その間、かみさんが稼いでくれた。もう離婚したが、これには今でも感謝している。西洋医学も万能ではないと感じたのもこの頃だった。
結局母親が他界し、僕は身の振り方を考えた。ある意味これはチャンスだと思い、かみさんの事業を会社にし、拡大することにした。僕は若干26歳で社長として従業員を抱え、さらに運営する店舗を増やした。数年で大手アパレルメーカーから約15店舗を任されるようになり、社員数も50名を超えていた。
 そのまましばらくは調子に乗った生活だった。お手伝いさんを雇ったり、外車をいくつも購入したり、アメリカにも別荘も構えた。都内に小さなビルも購入した。ところがある日、事件は起こった。栄枯盛衰という言葉があるが、栄華は長く続かないものだ。某大手デパートのインショップに配属していた販売員が商品を持ち帰っていた事実が判明したのだ。半期に一度のたな卸しで発覚し、本人がこれを認めたというのだ。愕然とした。すぐに飛んでいって細かな事情を聴き、本人を呼ぶと、この事実を認めたのだ。その日のうちにこの話はメーカーにも伝わった。社会的信用が音をたてて崩れた瞬間である。責任はすべて管理者にある。会社とはそういうものだ。もちろん取引は停止である。この評判はあっという間に他の取引先メーカーにも伝わった。会社の取引も中断された。この評判はあっという間に取引先である他のメーカーにも伝わった。こういう話は早いものだ。結果、すべてのメーカーから取引が中断させられた。当時抱えていた従業員はメーカーに引き取ってもらい、調子に乗った生活はこれでピリオドを打った。2000年、36歳のときのことだった。
 今考えれば鬱だったのだろう。飯ものどを通らず、夜も眠れなかった。これまでの生活が夢のあとになった。占いにも行ったし、神様仏様にも祈った。しかし、状況は何も変わらなかった。人は収入が減っても一度手に入れた生活水準を落とせないもの。だから、金はどんどん出て行くばかりだ。都内のビルは銀行から金を借りて購入したものだったが、毎月ローンが預金から引き落とされた。見る見るうちに預金が減った。一番辛かったのは、かみさんとは別に付き合っていた彼女にそっぽを向かれたことだ。一瞬でも現実を逃避したいと思った。自殺する人の気持ちも理解できた。人は、金ではなく、人との縁が切れたことが一番辛い。バブルが崩壊して多くの自殺者が増えたが、人の縁が切れて苦しんだ末の結末なのだろう。
 ふとタイマッサージを思い出した。タイマッサージでトリップできることを知っていたからだ。探してみた。ところが見つかるのはタイマッサージとは名ばかりの風俗店ばかりだった。当時日本には本物のタイマッサージの店がなかった。もちろん教えてくれる学校もなかった。マッサージにありつけないショックと同時に「これはチャンスかも?」と思った。こんなに素晴らしいものが日本にないのなら、いっそ持ってきてしまえと思った。自分以外にも辛い気持ちで苦しんでいる人がきっと多いことだろう、そんな人にこれを受けてもらいたい。そのためには、これを本格的に仕事にしようと思った。最後は自分ひとりなんとか飯を食えれば、現状を打開できるかと思った。そうしてタイに渡った。タイマッサージの総本山とも言われる「ワットポー」に通った。そこには、10人ほどの日本人がいた。すでにマッサージをしている人やセンスがいい人もいて、明らかに僕が一番へたくそだったのは記憶に新しい。それからもいくつかの学校を渡り歩いた。遠くに明かりが見えた気がした。
 帰国後、タイマッサージの素晴らしさを世の中に伝えたいと思った。それまでパソコンというものに全く縁がなかった僕だが、金のない自分にできるのは、パソコンを覚えてタイマッサージのホームページを作ることくらいだった。今でも指一本打法だが、ホームページの作り方を必死に学んだ。友人に「今度、タイマッサージやるよ。」って言ったら、「渡邊さん、結局、風俗やるんっすか?」って笑われたこともあった。「風俗と誤解されているタイマッサージ。本当はそんなもんじゃないんだ!協会を作って、タイマッサージを日本に広めよう。学校を作ってセラピストを育てよう。疲れている人の役に立ちたいんだ!」って。タイマッサージの協会を作るにあたって、日本のマッサージの先生にも協力をお願いしたが、その多くは、「悪いけど、もし上手くいかなかったら、悪評を被るから遠慮しておく。」と断られた。所詮人はそんなものである。自分の身がかわいいのは当たり前である。失うものはもう何もなかった僕は、その分強い。悔しい分だけ、なんとかひとりでもやってやろうと思った。辛い経験をした僕は、自分のエゴでは最終的に成功しないことを学んだ。人の役に立って自分も生かされようと思うようになった。パソコンを学びながら、カイロや整体、マッサージの先生のところにも足を運んだ。タイのスクールでは、ただ順番だけを習ってきたが、それでは仕方ないと思ったからだ。調子に乗っていた時に購入したビルは、生活にも困って当時売りに出していたが、それでも、僕はそこにサロンとスクールを作った。このビルが売れてしまうのが早いか、起動に乗るのが早いか、一世一代の勝負に打って出た。不動産屋が何度も客を連れてきた。かの有名な芸能人や青年実業家たちも訪れた。ある日、ポケットに手を突っ込んだまま、営業マンが訪れた。客もふてぶてしい奴だった。なんとなく気分が悪かった。そのうち我慢しきれなくなった僕は、「売るのをやめたから今すぐ出て行け!」と言って、奴らを追い出した。逃げ場を無くした僕は、雨の日も風の日もチラシを作って近所に撒いた。ホームページを更新した。毎日、明け方まで施術をして会社に泊まりこんだ。2年半テレビを一切見なかった。風呂も入らずシャワーだけで生活した。朝4時から3時間の施術のオーダーを受けたら、「あんたきちがいだね。」って言われたこともあった。そんなこんなで今、僕は生徒にタイマッサージを教えている。
 今、世の中にタイマッサージがもっと広まればいいと思っている。そのためにはもっと多くの人がタイマッサージを知り、もっと多くの人がタイマッサージを好きになり、もっと多くの人がタイマッサージを仕事として捉え、もっと多くのサロンが世の中にできればいいと思っている。そうしなければ、世の中にタイマッサージが普及しないからだ。僕自身も日本ヌアボーランスクールというタイマッサージのスクールで技術の指導に当たっている技術者のはしくれだが、タイマッサージの普及のために、敢えてタイマッサージビジネスの本を書こうと思った。そうすることで、タイマッサージセラピストの地位が向上し、人々がもっと健康になってもらえればいいと思っている。
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